No.182 名古屋市バス運転士の自殺事件

2016/07/26(火)

■名古屋市バス運転士の自殺事件 名古屋高裁で逆転勝訴     岩井 羊一     

■日本労弁 名古屋常幹報告                  中川 匡亮      

■解雇の金銭解決精度の導入を巡る問題点について                 
 -大竹・鶴分析についての疑問-                後藤 潤一郎     

                                                                                                   


名古屋市バス運転士の自殺事件 
名古屋高裁で逆転勝訴

            弁護士 岩井羊一

1 訴訟の内容
 この事件は2007年6月13日、名古屋市バス運転士の山田明さんが焼身自殺をはかり、翌日14日に死亡した事件である。遺族でお父さんの山田勇さんが、公務上の災害の認定を請求した。しかし、公務外の決定を受けた。審査請求も棄却されたので、再審査請求を行ったのちに地方公務員災害補償基金を相手に取り消しを求めて提訴した行政訴訟であった。
2 事件の経過
 自殺した山田明さんは市バス運転士として野並営業所で勤務していた。当時山田さんは36協定に違反して月平均60から70時間の時間外労働に従事していた。また、午前の勤務を終えてから長時間の待機時間を経て午後の勤務をするという拘束時間の長い変則的な勤務に従事していた。
 一方、当時(2007年頃)名古屋市交通局は、勤務態度等に問題がある乗務員に対してはリフレッシュ研修の対象者とし厳しい指導をしていた。このようななかで、山田明さんは約4か月の間に3つの出来事による強い心理的負荷をうけた。
① 本庁職員による「添乗指導」~心理的負荷①
 2007年2月3日、本庁職員が覆面で山田明さんが運転するバスに乗った。その際、本部から営業所に本庁職員は、「葬式の司会のようなしゃべり方は辞めるように」と指摘し、指導するように指示をした。被災者は、不当な指導だとする文書を作成し、パソコンに残していた。
② 乗客からの苦情とその「指導」~心理的負荷②
 同年5月2日、ユリカ(当時の市バス・地下鉄の乗車カード)の取扱、ベビーカーの取扱について運転手から不当な扱いを受けたとして同月3日の未明に名古屋市交通局に市民から苦情のメールが届いた。山田明さんは同月16日になってから事情聴取とともに指導を受けている。しかしながら、山田明さんはこの頃、指導の前提になっている事実関係について強く否定した書面をパソコンに残していた。この後、6月6日には模範的な乗務員が運転するバスに添乗させたうえ、同月9日には野並営業所長自らが山田明さんの特別指導を実施し、同月11日には同月6日の添乗レポートを提出させた。
③ 車内転倒事故~心理的負荷③
 同年5月28日にバスの中で高齢の女性が転倒したという事故が発生したと同年6月に入ってから名古屋市交通局に届けがあった。名古屋市交通局は、山田明さんが前の件で添乗レポートを提出した翌日の6月12日になって山田明さんが当該バスの乗務員だと特定し、山田明さんを同日に昭和警察署に出頭させた上、被疑者として取調べを受けさせた。山田明さんは、調べを受けたあとの午後8時42分には、上司に対して「事故にかかわっていない」とのメールを発信している。
 焼身自殺を図ったのはその翌日の6月13日であった。山田明さんは14日に死亡した。
3 行政手続きの経過
 公務災害認定に向けての手続きの経過は以下のとおりである。
2008年7月2日公務災害認定請求。2011年1月5日公務外の決定。同年3月1日審査請求。2012年9月10日審査請求棄却。同月24日再審査請求。2013年2月28日 名古屋地方裁判所に提訴。
4 行政段階の立証
 行政手続の段階で、弁護団の水野幹男弁護士、西川研一弁護士と、市バス職員のOBなどの支援の会は、公務災害の手続きで得た資料を分析し、また、独自に関係者に面会するなどして、③で問題となった転倒事故を起こしたバスは、山田明さんの運転するバスではない可能性が高いことを突き止めたが、審査請求でもこのことは考慮されなかった。
 岩井が、訴訟になってから弁護団に参加した。
5 名古屋地方裁判所の判決
 2015年3月30日、名古屋地方裁判所は、原告の請求を棄却する判決をした。地裁判決は、時間外労働等は、原告の精神疾患発症、自殺の原因とならず、上記①から③の出来事も精神疾患を発症させるほどの強度の心理的負荷にはらない、これらを全体的に見ても心理的負荷が強いものとは認められない、とした。③の転倒事故について、判決は、事故のバスの運転士が山田明さんであった可能性が高いとした。そして、山田明さんが当時、自分のバスであることを認めていたとして心理的負荷は強くないと判断した。さらに仮に運転していた市バスで発生していないとしてもその心理的負荷の強さは直ちに左右されないとした。
6 名古屋高等裁判所の逆転判決
 2016年4月21日、名古屋高等裁判所は、原判決を破棄し、公務外の決定を取り消す1審原告勝訴の判決を言い渡した。判決は、「時間外労働は月60時間を超えているから」「心身の余力を低下させた可能性がある」とした。その上で、①の添乗指導における「葬式の司会のようなしゃべり方はやめるように」との指導は「極めて不適切な用語」で、「相手をおとしめるような言葉」をそのまま用いてなされたものであり、「被災者に与えた精神的負荷は相当程度のものであった」と認めた。②の乗客の「苦情」に対し、被災者は明確な記憶のない出来事であるにもかかわらず、模範的な運転士のバスに添乗させる指導、首席助役による「特別指導」、反省する旨の「添乗レポート」を提出させるなどの指導は、あまり例のないことであったとして、「本件苦情を原因として被災者の受けた精神的負荷は、相当に大きかったと認められる」とした。③の乗客転倒事故について、事故のバスの車内乗客数や転倒時の状況に関する被害者の供述の内容が被災者の乗務したバスのデータから推測される車内の状況と食い違っていること、目撃者の供述の信用性に疑問があること等から、転倒事故が「被災者の運転するバスの中で発生したと断定することは困難である」とし、「本件転倒事故に関与してないと認識していた被災者にとって、(中略)本件転倒事故に関する警察官の取調べを受け、実況見分に立ち会うことは、その認識と矛盾する対応をせざるを得なかったという意味で、大きな精神的負荷になったと考えられる。」と認めた。
7 判決は、添乗指導、苦情、転倒事故という3つの出来事が僅か4か月という短期間に発生し、殊に、転倒事故に関与していないと認識していた被災者にとって、転倒事故に関し警察官の取り調べを受け、実況見分に立ち会うことは大きな精神的負荷であって「平均的労働者にとっても強い精神的負荷であったと考えられる」として公務上災害を認定した。
8 最後に
 検討するべき証拠をすべて検討し、最後まであきらめずに書面を作成したことが逆転勝訴につながったのだと考える。山田明運転士が亡くなって9年、公務上災害認定を請求して8年という歳月を要し、ようやく公務上災害が認められた。わが子の無念を晴らすために闘い続けたご両親に惜しみない敬意を表したい。



日本労弁 名古屋常幹報告

          名古屋第一法律事務所 中川匡亮

 日本労弁の名古屋常任幹事会が6月11日にウインク愛知で開かれた。常幹では主に現在の労働法制の状況についての報告や改悪阻止に向けた運動について討論がなされた。
 労基法関連については,以下の報告があった。
 第一に,安倍首相が,2016年3月25日の第6回一億総括役国民会議において,長時間労働を是正するため,367協定の在り方の見直し,労働時間の上限値を設けることなどを検討する旨表明している。しかし,この意思表明と,安倍政権が昨年の第190回国会に提出し継続審議になっている高度プロフェッショナル制度」(いわゆるホワイトカラーエグゼンプション)は相容れないとの意見交換がされた。
 第二に,解雇の金銭解決制度については,政府も複数回のヒアリングを行っているが,その結果,裁判例の分析を行っても金銭解決の水準の法則性を見出すことができないことが明らかとなったとの報告がなされた。
 第三に,同一労働同一賃金については,「ニッポン一億総活躍社会プラン」の中でこれを実現する旨謳われている。しかし,この方針の中に,非正規社員そのものを廃止する意向がないこと,また,正社員の側の賃金を下げることにより同一労働同一賃金の実現がなされる可能性も払拭できないことなどの問題点がある点が指摘された。
 その他の報告としては,近時,リストラ支援ビジネスが横行しているとの報告があり,労弁としては,事例集め,民主・維新合同勉強会(当時),緊急ホットラインの実施などの取り組みをしている旨が報告された。その結果として,こうしたビジネスが職業紹介事業の趣旨に反する旨の厚労省職業安定局長通知が出されるなどの具体的な成果が上がったことも報告された。
 運動の分野での労弁の主な取り組みとしては,日本労弁が5月11日に主催した日比谷音楽集会(テーマ:「安倍政権はもうイヤだ~次にくる矢は解雇自由と定額働かせ放題~雇用とくらしの底上げアクション~」)の報告,同じく日本労弁が同月24日に主催した「安保法制と労働者・労働運動」の報告がなされた。
 最後に,新法関係としては,労働者が単なる労働法の条文ではなく具体的な被害救済の方法などを習得することなどを趣旨とするワークルール教育推進法制定に向け,各種の取り組みがなされていることが報告された。また,平成27年7月24日閣議決定にかかる過労死防止大綱の活用方法なども報告された。
 今後,東海労弁でも,引き続き,労働法制改悪を阻止するともに,労働環境の向上に向けた更なる活動をすることが必要である。



解雇の金銭解決精度の導入を巡る問題点について
 -大竹・鶴分析についての疑問-

      幹事長 後藤 潤一郎

1 政府の「透明かつ公正な労働紛争解決システム等の在り方に関する研究会」において本年6月6日付けで発せられた大阪大学大学院・大竹教授及び慶應義塾大学・鶴教授の提出に掛かる「金銭解決に関する統計分析」(以下単に「分析」と略します)の報告が話題になっている。
 何故話題になっているかというと、解雇の金銭解決制度導入の足がかりになるのではないかと想定されるからである。
2 この報告はとても分かりづらいものである。とりわけ統計学とは全く無縁な私にとっては統計処理の仕方などのテクニカルなものはさっぱり頭が着いていかない。
 ただ、明確に言えることは、報告の初めに「JILPTで作成されたデータを利用し、再分析を行った」とされ「データは各事案の紙媒体の記録をJILPT担当者が読み込み、あらかじめ厚生労働省、裁判所との間で取り決められた変数項目について電子データとして入力した」と紹介されているだけなので紙媒体の記録がどのように電子データになったかはブラックボックスとなっていることである。
3 大竹、鶴両先生は、あとは統計学的な処理を施して解雇無効の場合の解決金と月額賃金の割合を勤続年数区分に分けてその相関度合いを導き出すことになった次第であるが、私はそもそも、紙媒体である事件記録を(幾ら有能なJILPT担当者かも知れないが)読み込んで解雇無効の事例における解決金額が導き出せるとした点は、全く驚くほかないのである。
 私は実務家として既に労働側の立場で100件を超える労働審判を経験して、しかも恐らくその約半数は(解雇無効などの)地位確認事案であったろうと考えているが、単純に解雇無効を原因とした地位確認だけの審判申立は意外に少ない。多くは解雇されるまでは黙っていたがこうなったらということで時間外手当も請求したい、とかとんでもない解雇だからその分の慰藉料も取りたい、という具合に(俗に「3点セット」とも言われるが)複数の請求権を掲げて申立していることが多い。そして殆ど全ての和解は金銭解決となれば解決金1本で処理されている。
 時間外手当請求部分も立証資料の具備の程度は様々であるから、残業代未払い金額を詰めて行く作業も具体的な労働審判の審理における相手方の対応や審判委員会の心証形成度合いを忖度しながら、ということにならざるを得ない。申立人は多くは総額としての解決金額がどの程度かによって和解するかどうかを決断するものである。
 私は自ら担当した案件であっても紙媒体の事件記録を読み返しても、解決金がA円とされていて残業代の精算もなされているような案件について、純然たる解雇無効部分の解決金額を算出することは困難である。当初は個人的な趣味で何件かの解決事例を自分なりに整理して「月給の○か月分かな?」などと思索を巡らせたものだが、暫くしてそのような思考は止めた。だから、ましてや他人の担当した労働審判記録を与えられても、総額の解決金額から解雇無効の金銭解決部分の金額を導き出すことはほとんど不可能なのである。
 両先生の使用されたデータ(労働審判事案452件)の1件1件が、実はこのような区分困難な解決金額から成り立っていることを実務家として強調指摘しておくべきであろう。(その統計処理について批判する能力は、私にはない)
4 ただ解雇無効の解決金とはどれぐらいなのであろう?ということは誰しも根本的な関心事であることはその通りである。それを統計的な資料から割り出そうとする試み自体は以上に指摘したような困難はあるが、意義はあると思われる。しかし、解雇無効な場合でも雇用関係の解消を認めて良いとするための程度の金額を探し出そうとする観点はいかにも法に反する研究である。
5 最後は格調のある菅野先生の労働法11版から引用して終わりたい(759頁)。「要するに、解雇の金銭解決それ自体は、我が国では既に制度上可能であり、実際上も盛んに行われているのであって、規制改革関係の会議で行われていた解雇の金銭解決制度設置の立法論議は、存在しない問題について議論している観があった。付言すれば、グローバル化、少子高齢化、技術革新に適合した産業構造実現のための労働力の移動は、公私の労働力受給調整サービスと職業能力開発・評価制度の充実や、労働条件の向上などの施策によって行われるべきであって、これらの施策なき解雇規制緩和は失業者を増加させる愚策となりかねない。」



新人弁護士紹介

 冨田法律事務所 冨田篤史


 はじめまして。
 岐阜県多治見市の冨田法律事務所に2014年12月に入所しました冨田篤史と申します。東海労働弁護団には入所当時から日本労働弁護団とともに入団したつもりでしたが、私の手違いでこの時期になりました。これからどうぞよろしくお願いいたします。
 弁護士になる前は、中小企業メーカーの総務部でサラリーマンをやっておりました。私の勤務していた会社は、タイムカードはなく、残業申請もしないのが当たり前。申請したとしてもまず部長にお伺いを立て、実際の勤務時間より少なく見積もって申請をするというのが常識でした。そんな会社ではありましたが、労働組合が組織されていました。しかし、本社(社長と従業員数名程度)と工場(従業員150名程度)の立地が遠く離れていましたから、本社従業員と工場従業員の意思疎通はあまり活発でなく、工場側組合員の意思を本社組合員がそのまま受けるという形でした。加えてその活動も団体交渉を活発にやるというわけでもなく、従業員の親睦を深める目的のレクレーションの企画が大半でした。団体交渉のようなものは工場ではあったような記憶がありますが、本社勤務だった私にはあまり記憶にありません。私の直属の上司である部長が使用者側の団体交渉を担当していましたが、上司自身は回答をつくらず、上司からの指示で私が団体交渉に対する回答を作っていました。もっとも回答の全てが「善処する」だったような気がします。当時は、特に疑問も持たず、サラリーマンとはこんなものだと思っていました。
 昨今、ブラック企業・バイト、パワハラなどの言葉が有名になっていますが、私のサラリーマン時代はこのような言葉がなかったような気がします。このような言葉が発生してきた経緯は、劣悪な労働環境が増えたからなのか、それとも労働者の権利意識が変わったからなのか分かりませんが、労働者を取り巻く労働環境は大きく変わってきたと思います。このような中で、私も弁護団の一員として社会で働く人たちの一助になれればと思っています。今後ともどうぞよろしくお願い致します。

                             以上




× 閉じる
- Powered by PHP工房 -